他人は自分の鏡
と、よく言うけど、最近それを体感する出来事が。
旦那さんが私にすることと、
それに対して私が思うこと
これがまさに鏡だと思った。
旦那さんが私にすることや言うことは、思考の私が心の私に対してすることや言うことと同じ。
それに対して私が思うことは、心の私が思考の私に対して思うことと同じ。
そんなことをふと体感したのでした。
して、私の思考は私の心にどんなことを思っているのか?
●もっとちゃんとやりなよ
●おまめちゃんのためにもっと動きなよ、かわいそうじゃん
●信頼できない
んで、心の私は思考の私にどんなことを思っているのか?
●私には私の事情があるんだから、多めに見てほしい
●できていないところばかりに目を向けないでほしい。できている事も沢山あるのに。
●信頼してほしい。無条件で愛してほしい。
泣ける…
実は自分のことを認めていないのは自分自身だというね。
だから、相手の指図を聞かなくちゃいけないと思ってしまってたのかな。
聞き入れるかどうかは、私が決めていいんだよ。
相手には理解されなくても、自分の事情で難しければ断ったっていいの。
だって相手は私じゃないんだから、
私がどれだけ大変かなんて一生理解されないだろうし。
だから、理解されなくてもいいし、
理解されないからって無理していうことを聞かなくてもいいの。
自分のために、断る時は断ってもいいんだよ。
私がどれだけ大変なのか、知っているのは私だけなんだから。
さて、今回自分が自分に対してどう思っているかわかってよかった。
これからは自分の良いところ、できていることにもっと目を向けるからね。